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Channel: 竹熊健太郎《Aタイプ》(@kentaro666) - Twilog
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5月10日のツイート

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川内先生は民族派右翼、竹中は左翼アナキストでしたが、思想を超えた人間的結びつきがこの二人にはありました。戦後、川内が尽力した南方の遺骨収集に竹中が協力し、竹中がゴラン高原にいくから300万貸してくれと言ったら、先生は竹中が赤軍派に会いに行くと知りながら、黙って金を貸したのです。

posted at 11:02:38

竹中労は生涯独身でしたが、永年、秘書を務めた女性がいました。竹中の遺稿が入った「決定版・ルポライター事始」の文庫解説を私に依頼してきたのもこの女性でした。私が「篦棒な人々」で川内康範先生にインタビューしたのを読んで依頼したきたようです。

posted at 10:53:48

RT @gethigh316: 竹熊氏の解説は名文であった。 私にとっても「生涯の5冊」に入る本で、いまでもときどきパラバラ読み返す。 ところで、カップ焼きそばがナントカというパスティーシュの本で竹中労も取り上げられていたが、あまりにも似てなさすぎて、竹労ファンとしてはげんなりした。 twitter.com/kentaro666/sta…

posted at 10:48:58

RT @kozuland: 『フリーランス、40歳の壁――自由業者は、どうして40歳から仕事が減るのか?』(竹熊健太郎 著) より、"お金より、やりたいことがやりたいようにできるかが大事" a.co/hDtsN63 メモ。

posted at 10:48:46

RT @mainichi: 故・手塚治虫さんらのパロディー作品で知られる漫画家の田中圭一さん @keiichisennsei 。自身のうつ脱出体験などを紹介した「うつヌケ」がベストセラーに。今の目標は「『トイ・ストーリー』などディズニー/ピクサーのCGアニメーションの世界を漫画で描くこと」 mainichi.jp/articles/20180…

posted at 10:28:51

RT @70GB: the four absolute units of the apocalypse pic.twitter.com/oXT4kZZZyg

posted at 10:23:36

「週刊文春」など対抗誌の出現で競争が激化、スクープ記事を書くための取材もエスカレートし、丹波哲郎主演のテレビドラマ「トップ屋」では空手や拳銃を使うなどスーパーヒーロー化する。一匹狼のトップ屋・竹中労は美空ひばりのパトロンが山口組組長の田岡一雄であることをすっぱ抜き、勇名を馳せた。

posted at 09:19:33

掲載写真の引用文中「トップ屋」という死語があるが、これは1956年に「週刊新潮」が創刊されたとき、先行する「週刊朝日」など新聞社系週刊誌と異なり取材記者を持たなかったため、草柳大蔵や梶山季之などのフリージャーナリストに巻頭記事取材を依頼したことから命名された。竹中労もトップ屋の一人。

posted at 09:11:17

司会のラサール石井さんは、さぞや困っただろうと思うのだが、「喧嘩の竹中」の噂ばかりで実物を見たことがなかった私は、竹中労の「えんぴつ無頼」の最後の姿を、脳裏に焼き付けることができたのだった。

posted at 01:46:31

竹中労ただひとり、「馬の糞でも表現の自由」だと叫んで、表現の「無条件の自由」を擁護していた。ついには柿沢議員に向かってもの凄い迫力で「やるかこの野郎! 表に出ろ!」と怒鳴った。言っておくが竹中は末期ガンで、骨と皮にまで痩せていたのだが、本当に殴りかかる勢いだった。

posted at 01:43:39

ちょうど宮崎勤事件が話題になった時期で、マスコミは宮崎に悪影響を与えたのは残酷なホラービデオだとして、ホラービデオ規制の声が盛り上がっていたのである。番組でも自民党の柿沢弘治を始め、政治家や文化人の殆どが「ホラー規制はやむなし」との論調に傾いていた中、

posted at 01:39:03

極めて優れた討論番組だった。ここに病魔(ガン)に冒されて余命幾ばくもない竹中労がレギュラー出演していたのである。竹中は、もとは60年代のTVワイドショーの常連だったが、最晩年までTV出演が滅多になかった。最後にTVに出たのは、余命わずかで、本を書く時間がないと認識したからである。

posted at 01:34:06

この文章に書き出しに1991年のテレ朝の深夜番組「金曜プレステージ」のことが出てくるが、これはラサール石井さんが司会を務めていた深夜の討論番組で、「朝生」が言論罵声入り乱れて収集が付かなくなる反省から、「誰かが話し終わるまで発言しない(他人の話の腰を折らない)」ことをルールとした、

posted at 01:30:38

今、この解説を読み返しましたが、最近出した「フリーランス、40歳の壁」の原点的な文章だと再認識しましたので、一挙掲載します。 pic.twitter.com/AOsRUyLL5y

posted at 01:07:02

「ルポライター事始・決定版」は竹中の死後(1991年)の8年後の1999年に出されたものですが、光栄にも解説を私が書かせて頂きました。私の文章仕事の自信作で、ちくま文庫解説傑作集(非売品)にも収録されました。 pic.twitter.com/UsoRc7Bq2Z

posted at 00:43:51

竹中労最期の著作「ルポライター事始」に、絶筆となった「実践ルポライター入門」が収録されています。これは「ダ・カーポ」に連載された文章で、執筆途中で還らぬ人に。文章は原則「タ止め」、語句の泣き別れが慎重に避けられています。その第一回最終ページと第二回冒頭ページを写真添付します。 pic.twitter.com/BfmnzTs3V9

posted at 00:28:26

@gappaiyasu あ。「𡈽」、これのことでした。これ文字コードに入っていたのですね。

posted at 00:09:07

竹中労は、晩年の著作でルポライターの為の文章の心得を書いている。彼は文字数だけではなく、記事のレイアウトが一行何文字かを把握して文章を書いていた。なぜ一行の文字数を気にしたのかというと、語句の泣き別れ、つまり行の変わり目で「語 句」がこのようにして分断することを嫌ったからである。

posted at 00:07:02


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